Kyosuke Tsujimoto

丁寧に暮らす

Split end──「ロストシー」がとても夏を感じられた事について

皆さん、こんばんは。このブログを作ったのですが、全然更新が出来ておらず、すみませんでした。本日から、辻本恭介ブログを再開したいと思います。最近のお知らせとしては、相変わらずミニマムな生活を送っております。ただ、ローテーブルしかなかったので、標準のデスクは買いました。仕事や、その他デスク作業に不便さを感じていた事による判断です。

今年は、ミニマムな暮らしの中で見つけた「良曲」を紹介していければと思います。勿論、去年紹介していたミニマリズムのような部分も引き続き執筆していこうと思います。また、こちらのサイトでは紹介しておりませんでしたが、辻本恭介として新作を出す事になりました。恋愛を申し込まれた青年だったが、それには期限があった。何故期限があるのか──。その謎が解明された時、物語は急展開を迎えます。タイトルは「突き抜ける群青に泣け。」になります。新作が始まりしたら是非、お楽しみください。

Split endの「ロストシー」がとても良かったという話。

まずは、こちらのミュージックビデオをご覧ください。私としては、理想的な「The 夏」だなと思いました。焼けるように暑そうな砂浜でギター・ベース・ドラムを鳴らしている姿は青春そのものだなと思いました。

今日は、Split endさんのロストシーについて、徹底解説していこうと思います。この曲は今から9年前の楽曲になりますが、全然色褪せていないなと思います。9年という「古さ」を感じない、名曲だと思います。

イントロから間奏におけるギターの音色変換について

まず注目すべきはこの音色の変化だと思います。クリーントーンの静寂さはこれから大きな盛り上がりを見せる布石のようなものだと考えられます。実際、間奏は歪みが増してサウンドはダイナミックになっていきます。また、間奏の時にミュージックビデオでは「Split end」とでかでかと表示されるのもインパクトがあって良いと思います。個人的にはこの演出は好きです。

Aメロにおける変拍子的なアプローチ

この楽曲の面白い点は、Aメロでリズムが変わる事です。歌詞とメロディに注目して拍を数えたところ、まず8拍刻み、その後4拍になるというリスナーを混乱させるギミックが入っています。

この曲のテーマは「失恋」です。この失恋で揺れ動く心の移り変わりを見事に変拍子で表現しています。これはとても面白いアプローチだなと思いました。変拍子的なアプローチに焦点を当ててみると、toricot的な要素があるなと思いました。toricotの「おちゃんせんすぅす」的なアプローチが、この曲にもあるのかなと感じました。

オルタナティブ・ロック的なアプローチ

Split endはオルタナティブ・ロック的なアプローチもあるのではないかなと思います。特に、ギターの音作りはNirvanaを感じるものもあるなと考えています。実際公式YouTubeにも「奈良県発オルタナティブロックバンド」という記載がありますので、公式的にも認めているのだろうと思います。オルタナティブ・ロックの全盛期は70年代・80年代だと思いますが、2010年代にリバイバルとして流行していたのかな、とも推測ができます。邦楽におけるオルタナティブ・ロックの代表格だとナンバーガールかなと思うので、Nirvanaかナンバーガールあたりに影響を受けているのかなと思われます。

奈良県発のロストシーという裏仕掛け

これはYouTubeのコメントで面白かったので、取り上げたいと思います。奈良県は内陸に位置する県です。すなわち「海のない県」=「ロストシー」という方程式が出来るな、と思ったわけです。逆に捉えれば、海のない県だからこそ作る事ができた曲なのかなとも思いました。海に行きたいけれども、そう簡単にはいく事ができない。海に対して常に着目していた内陸県だからこそ、作る事ができたのかもしれませんね。

シューゲイザー的アプローチー

また、他の楽曲を見ていても分かるのですが、Split endはオルタナティブ・ロックの中でも派生ジャンルであるシューゲイザーに重きを置いている気がします。特にシューゲイザーだなと思った楽曲のリンクも下記に埋め込んでおきます。

こういう他の楽曲を見ても分かる通り、シューゲイザー的なアプローチを大切にしているバンドなんだなと思います。個人的な主観にはなってしまいますが、私はシューゲイザーがとても好きです。過度に歪んだギターにリバーブが深々とかかっているだけでワクワクします。そういった私の好みに関するアンテナに引っかかるようなバンドだと思います。

線香花火が似合う曲

また、この楽曲が夏らしさを醸し出している理由の一つとして、線香花火が一つのテーマになっているからだと考えられます。

まとめると、上記の図のようになりますが、線香花火という道具を使って、儚さを表現しています。特に、曲の終わり(MVの終わり)のシーンで、曲が終わると同時に線香花火の火種が落ちるというギミックになっています。

「ロストシー」という曲は楽曲単体とミュージックビデオが合わさる事で、より世界観が構築されていく仕組みになっていると考えられます。勿論、曲単体でも素晴らしいですが、私は個人的にはミュージックビデオと合わせてみる事で、より世界観が浸透しているようにも感じられます。

実はBメロも変拍子的アプローチをしている

楽曲を分析したところBメロは8分の6拍子でビートを刻んでいます。

面白い事にAメロは8拍⇒4拍のリズムを刻んでいるのに対し、Bメロで突然6/8拍子になります。これも、非常に珍しいアプローチだなと思います。このアプローチをする事で、BメロでAメロとは違う様相を出していると思います。

いつからか
僕は分からなくなってしまった

いつまでも

愛しているはずだった

引用元:UtaTen(こちら

Bメロの歌詞はこのようになっており、愛しているはずだったのに、どこからか分からなくなって別れを予測させるような曲の構成になっています。この心の揺れ動きを見事に変拍子で表現していると思います。

ロストシーは総合的に見ても、変拍子でリスナーをグッと魅了している楽曲だなと思います。音楽的知識がとても深いバンドだなと思っています。曲のギミックが沢山散りばめられていて、聴いていて飽きない音楽だなと思いました。

歌詞でみる「ロストシー」

歌詞という観点で少し文学的な視点から「ロストシー」を見ていきましょう。まず最初に取り上げたいのは、サビの歌詞です。

この歌詞で大切な要素になるのは「海が枯れる頃に」という文章です。海が枯れる頃というのはいつになったら来るのでしょうか。少なくとも、私達人間が生きている頃には来る事は無いでしょう。即ち、「海が枯れる頃に君に会いに行くよ」というのはイコール「永遠の別れ」を意味していると考えられます。

この表現はとてもお洒落ですよね。海が枯れる頃というワードチョイスで「もう会えないよ」という表現をしている訳ですから。面白いですよね。そして、ここは表現されていないですが、会えない理由がもし、不可抗力的なものからくる別れであれば、とても切ないですよね。その悲しさをぐっと堪えて「海が枯れる頃に」と言っているならば、相当文学的な要素を含んでいると思います。

以上の事から、ロストシーは文学的側面を持ちつつ、非常に高度な音楽理論を持って楽曲を作っている事が分かります。

終わりに──「ロストシー」とは

ロストシーについて、まだまだ発見できていない技巧があると思います。本記事では紹介しきれない様々な工夫点を見つけていくのもまた、音楽を聴いていく上で大切な事だと思います。私は「青春」や「切なさ」、「儚さ」といった感情表現がとても好きな部類です。そんな私の感性にぴったりフィットするような楽曲だなと思いましたし、これからも夏が来たら必ず聞こうと思える、そんな楽曲でした。

皆さんも是非、これからも楽しい音楽ライフをお楽しみください。池ちゃんでした。

Kyosuke Tsujimotoは音楽や私、辻本恭介の考え方などを紹介するWEBメディアです。良かったら、ちらちらと更新をチェックしてみてください。

前回の記事はこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です