Kyosuke Tsujimoto

丁寧に暮らす

小説を書くときに“無駄”をどう扱うか――削るか、残すか

皆さんおはようございます。辻本恭介です。軽く自己紹介をします。「私が愛した人は秘密に満ちていました。」というSF小説を書いたインターネット小説家です。TSUJIMOTO FAMILY GROUPの主宰を務めています。幼少期から原稿用紙に小説を書くのが好きで、ずっと書いていました。大学生の時に親からノートパソコンを買ってもらってインターネットで処女作「私が愛した人は秘密に満ちていました。」を書いたところ反響を頂け、現在に至ります。

現在は同名の作品を音声ドラマ化しポッドキャスト番組として配信を行っております。制作チームとしてTSUJIMOTO FAMILY GROUPを構え、現在に至ります。ジャンルは少々ハードなSF(サイエンス・フィクション)です。良かったら原作小説を読んでもらえればと思います。

小説を書いていくにあたっての「無駄」とは

小説を書き始めたのは小学校五年生の時なので、相当な時間「文章を書く」という行為をやっている訳ですが、最近「無駄」について考える事があります。個人的に登場人物たちの何気ない日常などを綴ってリアリティを強化する手法をとる事があります。見方を変えると、物語の結末には直接関わらないシーンが多々あるということです。読者がそういったシーンをどう捉えているかちょっと知りたい気もしております。

書店に並んだ本でも「このシーンって必要だったのかな」と思うことも無いわけではないです。ですが、個人的にそういった何気ないシーン切り取りは好きです。小説は所詮はフィクションです。現実世界に生きていない人間たちのドラマがそこにはあります。そういった人間たちが本を開いて読者が「読む」ことで現実に具現化すると私は考えています。そのため、小説家辻本恭介としてというよりも読者辻本として、こういった日常シーンのようなものは必要じゃないかなと思っています。

コスパ・タイパを求める現代社会への警鐘

個人的に恐れていることがあります。それは、効率や合理的なことを徹底的に求める現代社会の構造です。最近Netfilixなどの映画やドラマを早送りで見る、YouTubeを早送りで見る人たちが増えてきているということを小耳にはさみます。

最近思うにYouTubeの編集も「間」や冗長な表現をカットし、常に重要レベルが同じような内容を早口にまくしたてる動画が増えたなとも思います。昔はそもそもYouTuberという職業もなく、動画が収益になることもなかったので、このような高度に切り刻まれた動画は無かった気がしますが、近年は増えたなという印象です。

そういった現代社会で「ゆっくりと本を読む」だったり、「映画を見る」ということは人々の行動からなくなってきているのではと思っております。個人的にはこういった社会に対して警鐘を鳴らしています。

私は脳科学者でも医者でもないので、詳しいこと・医学的なことを言える立場ではありませんが、人間には本来の「正常なスピード」があると私は考えています。と同時に一度に処理しきれる「正常な情報量」もあると思っています。ですが、近年SNSの台頭によりスクロールすれば無限の情報が得られ、動画は倍速になり、ショート動画を見て一分で起承転結がある満足するコンテンツというものが溢れかえっています。これが現代人にとって良い影響を及ぼしているとはあまり思えません。

現代こそ無駄なシーンを盛り込むべきだ

無駄を極限まで省く現代だからこそ、せめてフィクションでは何気ない日常を切り取ったシーンなどは積極的に盛り込んでほしいなと思います。何気ない日常があるからこそ、奇想天外なフィクションの面白さが際立つものだと思います。だからこそ、無駄なシーンは実は無駄ではないということをここでは言いたいです。

タイトルにある通り「削るか」「残すか」という二択に迫られるのであれば、私は「残す」を選択します。実際私の作品には沢山の無駄なシーンがあります。私の作品で定番なのは、飲み会のシーンです。勿論セリフは物語を前進させるものではあるのですが、飲み会ならではの無駄な描写も結構盛り込んでいます。これは飲み会という空間が個人的に好きな故、ついつい作中に挟み込んでしまうのです。

無駄を削らない心の余裕を持つことが大切である

まとめに入ります。ショート動画やSNSの発達により、短時間で膨大な情報を手に入れられる世の中だからこそ、無駄を削らない心の余裕が大切であると私は思います。「無駄なシーン」を積極的に入れろというわけでもありません。物語が冗長になるのはNGだと思います。ですが、起承転結とそこまで結びつかないシーンだったとしても、「現実世界だったらこういうシーンあるよな」と思うのであれば、挟み込んでもよいのかなと思います。

今回は「小説を書くときに“無駄”をどう扱うか――削るか、残すか」というテーマで深堀りを行っていきました。物語においては残すべきだと私は考えています。時代に逆行しているかと思いますが、私としては非常に重要視しているというお話でした。

皆さんもよい読書ライフをお送りください。

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